目次
【循環器診療】森山 寛大
【担当科目】総合診療科・循環器科
【循環器診療】佐藤 貴紀
【担当科目】総合診療科・循環器科・栄養管理科
はじめに
ハグウェル動物総合病院(横浜鶴ヶ峰院)では、循環器の専門診療において僧帽弁閉鎖不全症の循犬さんに、最新の医療とエビデンス(文献)により、最善(最高)の診断及び治療を掲示させていただいております。
犬さんにもっとも多い「心臓の病気」ってご存知ですか?
犬の心臓病の中で最も多く見られるのが弁の粘液腫様変性による「僧帽弁閉鎖不全症(そうぼうべんへいさふぜんしょう)」(MMVD: Myxomatous Mitral Valve Disease)です。
特に小型犬や中高齢の犬さんで多く、10歳以上になると3~4頭に1頭がかかっているとも言われています。
この病気は、心臓の中にある“僧帽弁”という弁が、何かしらの原因でうまく閉じなくなり、血液が逆流してしまう状態を言います。
今回は、主な原因である粘液腫様変性による僧帽弁閉鎖不全症について、詳細を解説していきます。
疫学
割合
犬さんの僧帽弁閉鎖不全症は、犬さんの全ての心疾患の約75%を占める(Atkins et al., 2009)と報告されています。
年齢
年齢が上がるほど、MMVDのリスクが増加します。8歳以上の犬さんの10頭に1頭(10%)が心疾患と診断されています(Mattin et al., 2015)。
体重
体重が20kg未満の犬は、20kg以上の犬に比べて僧帽弁閉鎖不全症のリスクが高いとされています(Mattin et al., 2015)。
性別
雄犬は雌犬よりもリスクが高い傾向があります(Mattin et al., 2015)。
犬種
キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル、プードル、ダックスフンドなどの小型犬種でリスクが高い。キャバリア キング チャールズ スパニエル(CKCS)などの犬種では発症率が高く、10 歳までに 90% もの犬が 発症します(Parker et al.2006)。
原因
僧帽弁閉鎖不全症は、何かしらの原因により僧帽弁領域で血液が通常とは逆の方向に流れてしまう、僧帽弁逆流が起きる病態なのです。その原因には、加齢性、感染症、先天性、不整脈などがあります。主な原因である粘液腫様変性以外にも、いくつか原因があるので掲載しておきます。
原因分類 | 詳細解説 |
① 粘液腫様変性(Myxomatous Degeneration / MMVD) |
● 最も頻度の高い原因です
● 高齢になるにつれ、起こりやすくなります(加齢性)。 グリコサミノグリカン(GAGs)とプロテオグリカンの沈着:弁尖にこれらの物質が過剰に蓄積し、弁の肥厚と変形を引き起こします。 ● 弁尖の過剰な動き・腱索断裂も伴いやすく、血液の逆流が起きている(エコー画像) ● その後、左房圧上昇 → 拡張 → 肺うっ血・肺水腫へ進行 |
② 感染性心内膜炎 (Infective Endocarditis) |
● 細菌感染により弁膜に疣贅(vegetation)形成します(細菌性) ● 主に大動脈弁または僧帽弁が罹患します ● 血行性感染(歯科処置・膿瘍など)により起こります ● 弁に潰瘍・穿孔が生じて急性の重度逆流を招くこともあります ● 発熱、雑音、敗血症症状、腎障害などを併発することがあります |
③ 拡張型心筋症(Dilated Cardiomyopathy: DCM) |
● 心筋の収縮力低下により左室の拡張が起こり、結果的に 僧帽弁同士が噛み合わなくなる(僧帽弁輪拡大)ことで二次的に血液の逆流が生じます。(エコー画像)
● 左室の拡張による二次的な僧帽弁逆流は、動脈管開存症でも起こることがある |
④ 僧帽弁異形成(Mitral Valve Dysplasia) | ● 先天的な弁形成異常によるもの(先天性) ● 弁尖の異常や、腱索異常、弁輪形成不全などが含まれる ● 一次的な血液逆流を引き起こし、早期から左房拡大や心不全へ進行していきます |
⑤ 不整脈・伝導異常による僧帽弁逆流(二次性MR) |
● 心房細動(AF)や左脚ブロックなどの伝導異常により 弁の協調的な閉鎖が障害され、逆流が生じることがあります(二次的)
● 一次的な弁疾患がないにもかかわらず血液逆流を生じることもある |
僧帽弁閉鎖不全症の主な症状一覧
呼吸器系の症状
- 咳をする(発咳):初期から起こりやすく、飼い主様が気づきやすい症状の一つです
- 呼吸が早くなる(頻呼吸・呼吸促迫・呼吸困難):安静時に40回/分以上の呼吸をする。浅く速い呼吸、胸や腹が大きく動く。常に呼吸が速い状態が続く。
- 咳が悪化して泡状のものを吐くようになる:肺水腫時に多く見られます
- 咳と同時に血を吐く(喀血):肺水腫が悪化し、肺の損傷がひどい場合に起こります
行動・活動性の変化
- 散歩や運動を嫌がる・すぐ疲れる・寝てばかりいる・動きが鈍くなる(運動不耐性):心臓のポンプ機能の低下などが原因で、心臓への負担が増加し、酸素供給が追いつかなくなることで起こります。
- 元気がなくなる:心臓病の悪化により、肺や腎臓への負担、悪液質など全身状態が悪くなることで起こります。
食欲・消化器症状
- 食欲の低下:心臓のポンプ機能が低下することで、全身への血液供給が不足し、臓器への酸素や栄養の供給も減少し、食欲が低下する可能性があります。また、むくみや消化不良、精神的なストレスなどが原因で食欲不振になることもあります。また、治療による副作用(利尿剤など)により起こることがあります。
- 体重減少・悪液質:心臓の末期状態になると起こりやすくなります。悪液質は、心不全でエネルギーと窒素のバランスが崩れることで、骨格筋の減少を伴う体重減少をきたす状態を言います。
循環・神経系の兆候
- 突然倒れてしまう(失神や虚脱):心臓の異常により、脳への血流が低下し、症状につながることがあります。二次的に不整脈の影響などでも起こります。
- 舌や歯茎が白もしくは紫色(チアノーゼ):心臓病により、肺に血液が流れにくいと、酸素濃度が低下するため、チアノーゼが起こります
その他の症状(末期や重症時)
- お腹がふくらむ(腹水)、四肢や体のむくみ(浮腫):心臓のポンプ機能が低下すると、全身の血液循環が悪くなり、血液が血管内に滞留します。特に、僧帽弁閉鎖不全症を長期的にわずらうことで右心不全を伴います。右心不全の場合、体から心臓に戻ってくる血液の滞留が原因で、腹水が生じやすくなります。
僧帽弁閉鎖不全症の主な検査一覧
検査名 | 主な目的・評価項目 |
活用ポイント・備考
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聴診 | 心雑音の有無・強さ(グレード1〜6)雑音のタイミング |
初期スクリーニングとして有用
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胸部X線検査 X線あり(正常と異常の比較)2枚 |
心臓の拡大(VHS)肺うっ血・肺水腫の有無 |
心不全の評価に必須
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心エコー検査 エコーあり2枚 ・LVIDDN>1.7以上 ・LA/AO=1.6以上 |
僧帽弁の構造変化(肥厚・逸脱)逆流の有無と程度(カラードプラ)左心房/左心室の拡大 |
診断・重症度分類の中心的検査
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血液検査 | 全身状態(腎機能・肝機能・電解質)NT-proBNP・cTnIなどの心疾患マーカー |
他疾患の鑑別や内科治療方針の判断に
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心電図(ECG) | 不整脈の有無(心房細動、心室性期外収縮など)心拡大に伴う電気軸の変化 |
心電図異常の早期発見に
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血圧測定 | 高血圧の有無(RAAS活性、治療反応の確認) |
慢性心不全に伴う変化の把握
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SpO₂/呼吸数モニタ | 呼吸状態の把握(肺水腫時の低酸素血症)安静時呼吸数のモニタリング |
自宅での経過観察にも役立つ
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ACVIMによる僧帽弁閉鎖不全の重症度分類
犬の僧帽弁閉鎖不全症(MMVD)におけるACVIMステージ分類とその状態の目安をまとめた表です
ACVIMは、犬の僧帽弁閉鎖不全症(MMVD)に関する国際的な診断・治療ガイドラインを策定している学会として知られています。
特に有名なのが、ACVIMステージ分類(ステージA〜D)です。これは、犬のMMVDを症状や心臓の変化に基づいて段階的に分類し、治療や予後評価の指針として世界中の獣医師が使用しています。
ステージ | 状態の目安 |
ステージA | 心臓病のリスクはあるが、まだ異常なし(無症状・正常) |
ステージB1 | 心雑音あり、心臓の拡大はなし(無症状) |
ステージB2 | 心雑音あり、心臓の拡大あり(無症状だが進行傾向) |
ステージC | 心不全の症状が出ている(咳・呼吸困難など) |
ステージD | 治療に反応しにくく、末期的な心不全状態 |
ACVIM分類と治療
ステージ | 治療方針 |
B1 | 経過観察・定期検診(3〜6ヶ月ごと) |
B2 | 内服治療開始(ピモベンダン+ACE阻害薬の投与検討) |
C | 降圧剤、利尿薬などの強化治療、食事管理、酸素療法 |
D | 外科検討、多剤併用治療 |
犬の僧帽弁閉鎖不全症の治療法
内科療法(内服薬)
薬剤 | 目的・効果 |
ピモベンダン(強心薬) | 心収縮力を高め、前負荷・後負荷を軽減します |
ACE阻害薬(エナラプリル等) | 血管拡張による後負荷軽減+RAAS抑制します |
利尿薬(フロセミド等) | 肺水腫の改善・うっ血除去をします |
スピロノラクトン | アルドステロン拮抗+心筋線維化抑制を行います |
アムロジピン | 血管拡張による後負荷軽減により心負荷軽減 |
などの治療を組み合わせることで、症状の緩和、心臓の負担を取り除きます。
食事療法
目的 | 内容 |
ナトリウム制限 | 血圧上昇とうっ血を防ぐため、塩分控えめの療法食が推奨されます |
体重管理 | 心臓の負担を減らすため、肥満のコントロールが重要です |
オメガ3脂肪酸の補助 | 抗炎症効果・心筋保護が期待されます |
運動・生活管理
- 興奮により心臓の負担を防ぐために激しい運動は避けます。軽度の散歩は可能です。
- 気温差による血管の収縮及び拡張を軽減するために、寒い時期は洋服を着させるなどの寒暖差を無くします。夏場は熱中症などに気をつけ、過ごしやすい環境を作りましょう
- 極度の緊張などを起こすことで心拍数が増加することや血圧が上がることへのストレス回避
- 安静時呼吸数をまめに計測し、呼吸数モニタリングを行います。(40回/分以上は肺水腫の兆候があります)
外科治療(僧帽弁形成術 / Mitral Valve Plasty, MVP)
対象:
- 薬物治療でコントロールできない症例(ステージC〜D)が該当します
- 若年~中年齢で全身状態が手術に耐えうる犬さんです
内容:
- 心臓を一旦止める人工心肺を使用し、心臓へアプローチするための開心術を行います
- 心臓内の僧帽弁に対し弁尖の縫縮、弁輪形成、腱索再建などを行います
- 日本では大学病院や二次診療施設など限られた施設で実施可能です(当院では行っておりません)
成功率・データ:
項目 | 実績 |
手術成功率 | 約90~95%と報告されています |
術後1年生存率 | 約90%以上とされています |
術後のQOL改善 | 呼吸困難・咳の劇的改善、投薬の減量または中止も可能なケースが多いです |
入院期間 | 平均7〜14日(術前評価〜術後管理まで含む)です |
引用:小谷義次ら(2020)日本獣医生命科学大学附属動物医療センター手術報告、および国内・欧州の臨床論文より
予後について
犬の僧帽弁閉鎖不全症は、早期に発見し、適切な治療を行えば長く安定した生活を送ることができる心臓病です。
内科的な治療だけでも数年にわたって良好な状態を維持できるケースが多く、近年では外科手術による根本的な治療も可能になってきました。